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【生後753日】バブル時代と屋久杉

この休みは雨模様。
雨の合間にお散歩に行きました。
(雨だと公園が空いているのでのんびりお散歩できます)
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コロナ禍の影響で、新しいテレビドラマは放映されず、ほとんど過去のドラマの再放送ですね。

そんな中、バブル期のことを取り上げた番組の再放送がされていました。
ママはバブル当時渋谷区の不動産会社に勤務していて、まさにバブル真っ只中の人たちを見聞きしていました。
ゴルフ場に行くのにヘリで行くとか、勤務していた会社の社長の知人がホールインワンを出したらホテルの大ホールに千人以上の人を招いてパーテーをするとか。(ビンゴゲームの景品はハワイ旅行やシャネルのバッグ)
ママ達事務系の女子の一部は社長命令でその立食パーティーの手伝いをして、受け付けや、お酒のお運びやなどもしました。
ボディコンに高いヒールを履く足が棒のようになったものです。
パーティー終了後にねぎらいで食事をご馳走してもらえることになった時、メニューの中で真っ先に選んだのは.....もずく酢でした(笑)
人って、疲れると酢の物を欲するのですね。

ママが勤務していた会社でもいくつかのゴルフクラブの会員権を所有していましたが、バブルがはじけてたあとの会員権価格は、こんなになっていたのですね。
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ママはただの平社員でお給料は当時の世間並みより少し良いくらいでしたが(できる営業の人のお給料やボーナスはすごかったです)、
それでも会社で高級店に連れて行ってもらったり、営業の男性が高級ゴルフクラブに行く代わりに、事務系の女子社員は1泊10万以上の高級旅館に泊まらせてもらって能を見ながらの食事をしたり、横浜に停泊中のクィーンエリザベス号に宿泊したり、社員旅行の何回かは話題のホテルに泊まるハワイだったり.....自分ではとうていできないそんな経験もさせてもらいました。

番組でも紹介されていましたが、当時は『空間プロデューサー』が花形で、ママの勤務していた会社にも有名な『空間プロデューサー』が出入りしていました。
そうそう、今や建築界の大物、歌舞伎座などの設計をされた建築家の隈研吾氏もよくいらしていてお茶をお出ししたものです!
(当時勤務していた会社が所有するビルの設計をされていたので)

バブルの是非はわかりませんが、あの時代を経験した世代の人たちはお金の使い方を知っているし、想像力や柔軟性も身につけているように思います。
活気があって面白い時代だったと思います。
少なくともそれを平社員として“垣間見た経験”や勤務経験が、小さいながらも店を持ちそれを維持していくのに、とても役にたっていると思います。
ものすごーく個性的な会社で泣くこともあったけど(^^ゞ、いい会社で好きでした!
なので今も先輩や同僚とはお付き合いがありますよ♪

もうひとつ♪
屋久島で一番大きい(幹周りが太い)とされていた『縄文杉』ですが、最近の調査でもっと太い杉が発見されたそうです!
その名は『七尋杉(ななひろすぎ)』
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黄色は全て新しく見つかった巨大杉で、順位が大きく入れ替わりました。

....休みはたくさん眠って、起きたらテレビを見たり、テレビを見ながら片付けなどしています。