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ムーちゃんなお花

ムーちゃんのびゅてぃふぉなお花みてね(#^.^#)
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駒沢公園でみんなで記念撮影もしたよ〜♪
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ムーちゃんの祥月命日-3

今日は午前中に大蔵動物霊園で欠席法要をしてもらったよ。
おうちには、ありがた〜いことにムーちゃんを偲んでくれる方からのお花が届いたのヽ(*'0'*)ツ
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LちゃんMちゃんBちゃん、そしてスタッフのみんな、心からありがとうございますm(__)m

ムーちゃんは14歳半まで頑張ってくれたえら〜いご長寿さん!
そして今日からお空で4年ちぇいだから、ママはメソメソなんてしてないよ(^з^)-☆

だってさぁ、パパとママとお空のムーちゃん、ぶーちゃん、べっちゃん、きゃっちゃんはたっくさんの時をいつもいつも一緒に過ごして幸せだったもの〜(o^-^o) ウフッ

べっちゃんの5歳のお誕生日♪
みんな若いね!
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忍野八海に遊びに行った時。
ブーちゃんはここでマスを眺めるのが大好きで、ほっておくと1時間でも眺めているの(笑)
魅せられて池に落ちちゃいそうになるからしっかり押さえていないとならないんだよU^ェ^U
ブーちゃんの為に、忍野八海には何度も行ったっけね(^_-)-☆
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前にも書いたけど、ブーちゃんは海で小魚を見ていて、ヨットハーバーのポンツーから落ちた事があって、引き上げるのが大変だったんださぁ(笑)


べっちゃんが旅立ってしまい、ベベが帰ってきてくれてまた4つになって雑魚寝>゚+++<
ほんとに窮屈で身動き出来ないし起きると体が痛いけど....しあわせなんだよ(*^~^*)
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お空のムーちゃん、ぶーちゃん、べっちゃん、きゃっちゃんは、7〜8歳まではベッドの上で一緒にねんねしていたから、こんなのが「日常」だったんだよ(^.^)
だいたいママのベッドに3つ、パパのベッドに1つって感じで断然ママ人気p(`ー´)q


べっちゃんが旅立ってしまい、ベベちゃんが帰ってきてくれて、ブーちゃんが旅立ち、そしてきゃっちゃんも旅立ってしまいとうとうムーちゃんとベベちゃんだけになってしまった2006年の4月。
ムーちゃんは病気になってしまったけど、この頃はまだまだ元気だったの。
ある取材を受けた時に撮ってもらったお気に入りの1枚。
ムーちゃんもベベちゃんも可愛いでちょ〜(#^.^#)
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いつも一緒に“普通の毎日”を過ごしたし、お出かけもいっぱいしたね。
ムーちゃん、ブーちゃん、べっちゃん、きゃっちゃんが感じた楽しさを、ベベちゃんともいちゃんにも分けてあげようね。
ベベちゃんともいちゃんが楽しいってことは、みんなみんな幸せだって事だからね(^_-)-☆

ムーちゃんの写真

ムーちゃんの写真見てね(^_-)

これは2005年の12月。
闘病中の良い子のきゃっちゃんと、当時9歳のべっちゃんの子のべべちゃんも一緒だよ♪
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駒沢に移転してきて、「ムーちゃんのお部屋」でおもちゃ調べ(^_-)-☆
14歳のおじいちゃんなのに若いよね!
きゃっちゃんも病院から帰ってきてねんねしてるね(#^.^#)
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ベベちゃんはムーちゃんの金魚の○ンだったんだよ〜。
それが今はすっかりお姉ちゃんになってもいちゃんに威張っていておかしいね(^_-)
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おうちでの陣地は、うちの子になった時からずっとあるソファー。
ムーちゃんとブーちゃんはこのソファーが大好きU^ェ^U
今はもいちゃんが継続愛用中♪
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トシであんよは痛かったけど、三度のごはんよりお散歩が好き!
「オレさまはまだ帰らないからな! もっともっと歩くぞp(`ー´)q」ってきかないの(^з^)-☆
(あんよが痛いから)誤摩化して方向転換してなんとかおうち方向に向かおうとするんだけど、すぐに見破って動かなくなって拒否。
わかったから..っておうちから離れる方向にむかうとスタスタ歩き出すの。。。
本当にムーちゃんはお散歩が大大好き!(^^)!
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ムーちゃんの祥月命日-2

ここから先は長いしちょっと悲しいお話しだから、興味のある方だけ読んでね。

2006年2月13日に健康診断でCTを撮った(麻酔なし)。
14歳3ケ月とは思えないほど内臓さんとかはキレイと褒めてもらった。
これなら15歳はチョロイね!と大喜びしたものだ。
なのに.....その後音もたてずに病魔がムーちゃんに忍び寄り、あっという間にムーちゃんをむしばんだ。

2006年4月9日、前日の夜のごはんをあまり食べず、あんなに大好きなお散歩に誘っても気がすすまずトボトボ歩き。
おかしいと思ってすぐに病院に行った時にはすでに貧血症状がでていた。

あんなに大好きだったお散歩なのに、体が大儀でいけなくなってしまった。
近所の信用金庫まで行ったのが最後の“遠出”だったね。。
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すぐ近所のお散歩から帰ると疲れてしまって、お店でお休みしたっけ。。
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色々な病気を疑いさまざまな検査と治療をし頑張った。
血管肉腫とわかった。
ムーちゃんにとって最善の治療をしてあげるため、状況を正しく把握する為に5月3日に麻酔なしでCTを撮った時には、ガンは肝臓全体に腫瘍が広がり脾臓にも転移していて手も足もでない状態だった。
血管肉腫だった。
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ほんの2ケ月前にはキレイだった肝臓さんは、たった2ケ月の間のどこかでにっくきガンに冒されてしまい、わずか1ケ月くらいでガンは増殖し肝臓全体を冒していた。
ワンコの1ケ月は、人間の半年以上に匹敵するってホントなんだね。
ついこの間、15歳は軽いね!なんて言っていたのに....まるで天から空が降ってきたようだった。。。

ムーちゃんはベベやみんなの温かい血をもらって命をつないだ。
必死だった。
お薬やサプリで頑張った。免疫療法もしてあげたかったけど、当時の免疫療法は今と違って数週間の時間がかかったので間に合わなかった。

あっという間に起き上がるのも大変になったけど、たまに自力で起き上がってお水を飲んだり、室内トイレで一人でおしっこをしてパパとママをびっくりさせてくれたっけ。
ベベちゃんはいつもムーちゃんのそばにいてくれたね。
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吐き気を抑えてあげ、痛くないよう、苦しくないよう頑張った。
ママは先生に、「ガンの激痛と貧血の苦しさとどっちのほうがまだいくらかましですか?」と質問した。
先生は「ガンが肺や心臓にまで転移するととても苦しいから.....貧血のほうが頭がぼやけた状態で痛みは少ないかも」みたいな事をおっしゃった。
ムーちゃんを失いたくはないけれど、それがもう「決定」してしまっている今......とにかくなるべく痛くなく、苦しくなく、気持ち悪くないようにと願いそのために全力を尽くした。

ムーちゃんにママは「頑張りすぎなくていいよ」って言った。
今までべっちゃん、ブーちゃん、きゃっちゃんをお見送りし、ブーちゃんには“一歩も引かない治療”をし、とことん頑張ってもらったけど、それはブーちゃんが「おいらもっともっと頑張るよ。もっともっと生きてパパやママやみんなと一緒にいたいから!」って言って頑張ってくれたから。

ムーちゃんにはなんとなくそういうのは似合わないってママは思った。
ムーちゃんは冷静で飄々としていた。
きっと...ママは本当は『ママの可愛いへんくつ王子さま』がボロボロになって痛くて苦しむ姿を見たくなかったんだと思う。
ムーちゃんにはいつも『ママのピカピカのかっこいい子供王子さま』でいてほしかったんだよ。


夜は介護の為パパがムーちゃんに添い寝した。
自他共に認めるママっ子だったムーちゃんは、いつの間にか「隠れパパっ子」になった。

.....ママはムーちゃんの介護からちょっと逃げたんだよ。
ムーちゃんはいつも真っすぐママをみてくれていたのに、ママはほんのちょっと目をそらしたんだよ。ごめんね。

現実を頭ではわかっているのに、まだまだ死んじゃったりしないとも思っていたんだよ。
だって、ムーちゃんがいなくなっちゃうなんて、そんなことちょっとでも考えたら本当になっちゃいそうでイヤだったんだもの。

亡くなる数日前にはたぶんガンが肺にまで転移し、茶色いくちゃい鼻水が始終ポタポタとたれたので一日中拭いてあげた。
下に敷いたタオルやシーツを何度もかえてあげた。
泡のような白いネバネバを吐きたくてもなかなか吐けなくて、そんな時はティッシュをお口にいれてそれで白いネバネバをつかんで引っ張ってあげるとうまく出してあげられるようになった。
一旦お水を飲ませてあげるといっぺんにたくさん吐けて楽になるというのをパパがみつけだした。

最期の時、ムーちゃんが苦しくてでも吐けなくて、やっと吐けてそれをすっかり片づけたところでパパは自分のベッドで寝ていたママを起こした。
朝の4時半頃だった。

パパは「ムーちゃんを抱いてあげな」って言った。
ムーちゃんはうつろな瞳でママを見て、ママはムーちゃんを抱きしめた。
そのまま抱きしめていたらよかったのに....ママはムーちゃんが失禁している事に気付いてしまい、「ムーちゃんをキレイにしてあげなくちゃ、ムーちゃんをキレイにしてあげなくちゃ、おしっこで汚れていたら気持ち悪くて可哀相だから!!」と必死でお尻周りをキレイにした。
キレキレが終わって少ししてムーちゃんは亡くなった。
ママはムーちゃんとのお別れの時、○カみたいに必死になっておしっこの汚れをキレイにしていた。
なんでずっと抱いていてあげなかったんだろう!って今もたまに思う。。。。


ムーちゃんはママの願いどおり、(見かけは)そんなには苦しまず、お顔もやつれていなくカッコよく、体も美しいまま旅立った。
2頭のGRの子からあたたかい血をもらうはずだった日に、まさか今日とは思ってもみない日に旅立った。

旅立ちの1日くらい前。
そりゃ元気いっぱいの頃のようにはいかなないけれど、可愛いでしょう。。。。
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お葬式に向かう車の中、ママはフラットにした後部座席にムーちゃんといっしょにいた。
車がゆれると、カーブを曲がると、ムーちゃんのお鼻から茶色い液がでた。
それはたくさん出て、ティッシュ1箱を使い切るほどだった。

ママはそれで初めて知ったの。
「オレさまは大丈夫だゼ。苦しくなんてないさ。痛くなんてないさ。オレさまはカッコいいオトコなんだからな。ママを泣かせたりしないゼp(`ー´)q」って言ってふつうのお顔を装っていたムーちゃんは、本当はとことん頑張ってくれていたんだって!!

涙がとまらなかった。
ムーちゃんは苦しくて大変だったのに、最期まで『ママのピカピカのかっこいい子供王子さま』でいてくれようとものすごく頑張ってくれていたんだね。。。。きっと。。。。
なのにママはムーちゃんが大切すぎて、(ほんのちょっとだけだけど)ムーちゃんの“病気の現実”から逃避したんだよ。
だらしないね。
だめママだけど、そんなママってわかっていてムーちゃんはママの事をずっとずっと好きでいてくれたんだね。

だらしないママだったけど、不思議と“後悔”はないの。
ママはムーちゃんを言葉ではいえないくらい愛していたし、ムーちゃんもママの事を心から愛してくれていたってわかっているからかなぁ。。。。
しっかりと親子の絆で結ばれていたし、今だってこれからだって親子であることにかわりはないからかなぁ。。。。


ママはムーちゃんのママになれて良かったよ。
ムーちゃんママをママにしてくれて本当にありがとね(●^_^●)

ムーちゃんの祥月命日-1

今日はムーちゃんの4回目の祥月命日。(丸3年)
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もうあの日から丸3年たって、ムーちゃんはお空の4年生。
お空には兄弟のぶーちゃん、大好きなべっちゃん&きゃっちゃん、子供たちや親戚さんやお友達もいて楽しくにぎやかにしているから何の心配もないけどね(^_-)


ムーちゃんは14歳をすぎてもすこぶる元気だった。
“お散歩命(^_-)-☆”で、あんよは痛かったけれどお散歩に行くのが何よりも楽しみで、お散歩に行こうか!っていうと、14歳なのに飛び跳ねて喜んだっけ(*^~^*)
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ムーちゃんは事務所の『ムーちゃんのお部屋』の窓際に置かれたフェザーベッドがお気に入りで陣地にしていた。
ベッドの上からお外を眺めるのが大好きだった。
で、下をワンちゃんが通ったりするとしゃがれ声で吠えたりしてたっけU^ェ^U
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14歳をすぎてもおもちゃが大好きな「おもちゃ博士」で日々おもちゃ調べを楽しんだ。
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姪っ子のベベちゃんが大のお気に入りで、一日に数度「遊んでやるゼ♪」とベベにしつこくした(^_-)

ママのデスクには『ムーちゃん用おやつポット』が置かれていて、1日に10回くらい当然のお顔で「オレさまは小腹が減ったんだ。ばばぁ♪おやつよこせよ凸(`_')」ってやってきた(笑)
ママはムーちゃんのいいなりで、幸せを感じながらハイハイって少しずつおやつをあげたっけ(*^~^*)
そんな毎日が永遠に続くと思っていたのになぁ....。
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